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奥州市について

 投稿者:世安  投稿日:2006年11月19日(日)03時00分26秒
  初めて書き込みをします。3ページほど前に奥州市という名称に関する批判がありましたが
私は奥州市という名称で良いと思います。奥州市と名乗ろうとした人々には奈良、平安時代
を通じて陸奥国の歴史の表舞台に立って朝廷と対立する歴史を歩んだ地域であるという自負心があるかのように思われます。もし一関地区を中心とした合併が平泉市になっていたら、奥州市という名称は生まれなかったと思います。その場合は胆沢市になっていたでしょう。
それでは何故に奥州市になったのか、それは磐井郡の合併が平泉を排除したためです。奥州市の人々は自分たちのアイデンティティーが平泉や衣川、胆沢にあることを誇りにしているのです。もし平泉が奥州市と合併することになったら平泉市を名乗ることは明白です。これは合併する際に、歴史のある平泉とその地名を大切にする主張を尊重して合併を目指すとはっきり謳っているのです。磐井郡が歴史ある平泉の名前を捨てるなら胆沢郡の末裔の奥州市がその地名を大切に後世に伝えようとしているのです。旧磐井郡は一関市になっています。近代の歴史では平泉は一関とのつながりが大きいのですが、平安時代には衣川を基点としてその北側が奥六郡でした。奥六郡の支配者が始めて衣川を渡った処に自分たちの本拠地を設けたのが平泉だったのです。奥六郡の代表者としての面目が奥州市という名前をもたらしたのです。そして奥州市の人々は決して地名を粗末にしてはおりません。奥州市の後には江差区、水沢区、胆沢区、前沢区、衣川区として行政区を思わせるような旧市町村名を残しています。
 


津久毛要害と沢辺要害

 投稿者:菅原  投稿日:2006年11月16日(木)12時25分51秒
  こんにちは。お世話様です。
紫桃正隆さんの文献で調べてみようと思います。
津久毛要害の場所なんですが、津久毛小学校の北とお聞きしましたが、詳しい場所をご存じでしたら教えていただけますでしょうか?
金成町史の321ページに「森館  要害館」の記述があり、「菅原民部」が館主となっております。さまざまな情報をもとに判断すると、菅原民部の要害館イコール沢辺要害だと思うのですが、いかがでしょうか?
 

津久毛要害について

 投稿者:管理人  投稿日:2006年11月12日(日)04時48分30秒
  おはようございます。
すみません、いつも気がつくと夜になっていて、電話を差し上げられないでおりました。
失礼をしました。ごめんなさい。

要害については、後に、名づけられた後に、館をして武将が守りに堅く、攻めるに都合のよい場所としての要害となっていきます。武将の時代がすぎても、それは同じで、現在要害に住んでおられる方の多くは、長い時間そこに住まわれた旧家が多いようです。
大変申し訳ございませんが、津久毛要害に武将が住んだかどうかについては調査しておりませんので、わかりかねます。
紫桃正隆先生が、伊達藩内の館について調査しれおられるますが、その中には記載されていないでしょうか?調べてみていただけませんか?お願いいたします。
忙しぶって、返事を差し上げずにいて、ごめんなさい。
 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

旧金成町の要害について

 投稿者:菅原  投稿日:2006年11月11日(土)00時08分4秒
  こんにちは。お世話様です。
旧金成町の要害の多くは、武将の館跡でもあるようです。

赤児要害  → 小岩孫三郎
普賢堂要害 → 小野寺弥四郎
末野要害  → 千葉四郎右衛門
沢辺要害  → 菅原氏
津久毛要害 → (調査中)

津久毛要害も武将の居館であったのでしょうか?
もし館でもあったなら、何氏が住んでいたのでしょうか?
ご存知でしたら教えていただけますでしょうか。
よろしくお願い致します。
 

初めての投稿

 投稿者:土蜘蛛  投稿日:2006年10月18日(水)22時43分2秒
  考古学や古代史を趣味としています。谷川先生の『白鳥伝説』などを読み、地名の由来にも興味をもっています。以前は金達寿氏の日本の中の朝鮮文化に傾倒し、日本の地名には古代朝鮮語が色濃く残っているのではないかと思い(アイヌ語地名も東日本に多いと思いますが)、最近は金属地名に関心を持っています。私の父の実家が柴田郡大字村田町小字菅生町にあります。村田には、白鳥神社があり、菅生には、菅生神社があります。この「菅生」と言う地名が産鉄と何か関係があったのではないかと思っているのですが、コレに関する文献やその由来をご存知の方がいらしたら、教えてください。  
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URLが変りました

 投稿者:Ugaya8  投稿日:2006年10月 8日(日)01時27分23秒
  コンテンツも変りました。
別所散策。鷹巣見て歩き。売女・泥棒異称。の他に神代文字否定論者本居宣長
の弟子が神字を研究「嘗中神字箋」。珍しい非人十手画像。研究会誌:野史研
究にミニ地域史:野史通信を発行しました。

http://www5.ocn.ne.jp/~iyasi

 

御節介焼 さん

 投稿者:慶雲院」  投稿日:2006年 9月 1日(金)21時30分39秒
  山戸土佐の娘は、2代忠宗の側室「慶雲院」ですよ。  
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

お知らせです。

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 6月19日(月)09時49分23秒
編集済
  宮城県地名研究会からのお知らせ!!です。

「地名入門講座」が開催されます。
これまで、気になっていた地名を解く鍵が見つかるかもしれません。
是非、お出で下さい。
お待ちしております。


開催日  平成18年8月5日(土)・6日(日)・19日(土)
場所   松島町中央公民館2階
時間   午前10:00〜12:00(9:30受付開始)
内容   基本的な地名の意味と解説
       ★地形から名づけられた地名。
         ★地震や洪水、災害などから名づけられた地名。
         ★アイヌ語で解ける地名。
         ★移動地名・金属地名・信仰地名・方言からの地名など。
         ★基本的な地名のいわれを勉強します。
費用  一人 3,000円(会員は、2,000円)  資料代も含む
資格  地名に興味をお持ちの方ならどなたでも。
募集人員  30名
申込締切  7月25日

申込先   宮城県地名研究会 事務局(太宰幸子)
        TEL/FAX  0229−56−9459
        〒989−4104
         大崎市鹿島台広長字鹿島71−5

たくさん来てくださいね〜〜^
待っていますよ!!  (^−^*)ニッコリ!




<難読地名クイズ>
さあ、あなたは、何個読めますか?
ゲームです。(全部読める人は、よっぽど地名に詳しい方ですね。)
挑戦してみてくださいね。

1 鹿角(    ) 一口 (    ) 4 禿岳(    ) 幸手 (    )
2 八街(    ) 尿前 (    ) 5 三次(    ) 女遊部(    )
3 営岡(    ) 猿飛来(    ) 6 日辺(    ) 片馬合(    )

http://www1.ezbbs.net/14/yuki104/

 
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要害屋敷についてー2

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 3月23日(木)20時30分54秒
  それが、中世や江戸時代の館や城のある地を要害と呼ぶようになった理由だと思います。
それが、現代にも名残があって、要害と言えば、堅固や館や城と位置づけられたのでしょう。
本来は、洪水になっても、安心して済める場所が要害だったと思います。
自然災害の多い日本ならでは、或いは、湿地や沼沢の多い宮城県北から岩手県南に
要害地名の多い理由と思われます。
だから、江合川や北上川、鳴瀬川、迫川などの河川流域に、要害地名が多く
分布している理由だと思います。

これらの場所以外では、要害は、比較的、高台になっております。他県では、特にそうです。

まだ、説明不足ですが、悪しからず。
 
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要害屋敷について

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 3月23日(木)20時25分23秒
  菅さまへ、

どちらの町、あるいはエリアの「要害屋敷」ですか?
差し支えなければ、場所を教えて下さい。
現在、私達の地名研究会では、「要害」地名および「要害屋敷」を調査、まとめているところです。
漏れているところもかなりあるようで、よろしかったら、お願いします。

要害については、初め名づけられた頃には、稲作をしながら、生活するために安心なエリアを言ったようです。
屋敷のある所は、洪水になるような田圃や川より、ほんの少し、あるいは少し高い地に家があり、そこから下方は、洪水になっても、比較的すぐ水の引くような場所が多いようです。
稲作の初めは、田圃に直播をしていました。そして刈入れも、穂を摘むというような形でしたので、現在の田圃の作り方とは、ちょっと違っていたようです。
要するに、生活するのに安心な場所が要害です。
それが、戦闘や戦をする時代になってくると、立てこもりやすい所、つまり、もともとの要害は、川や田圃で囲まれるような場所でしたので、安心して戦争ができるような地になります。
それで、要害の地は、守りに固く、安全な地と思われるようになったようです。
 

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