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立根

 投稿者:閉伊国蝦夷  投稿日:2002年 4月 7日(日)21時52分11秒
   立根と書いて「たっこん」と呼ぶ地名が、岩手県大船渡市にあります。近くに「たんこぶ」のようにこんもりした「今出(いまで)山」があります。これも「タプコプ」そのまんまの地名ですね。  


達居森へ行って来ました。

 投稿者:管理人  投稿日:2002年 3月27日(水)17時23分23秒
  3月21日、大衡村大瓜地区の方へ行って来ました。達居森があり、女達居森もありました。達居森とはアイヌ語地名で、「タプコプ=ポコンと一つだけ離れている森あるいは山」ということなそうです。達居森はまさしくその通りでした。すぐそばに牛野ダムがあり、とても美しい所でした。ハイキングに良いようです。桜の花見もよいようですよ。
途中の牛野森温泉の少し手前では、鉄滓を採取しました。また折居館の所では、鉱道を近所の方に案内していただき、磁鉄鉱と褐鉄鉱を採取しました。踏査の途中で偶然であった文化財保護委員の方は、ご存じなかったようです。隠れキリシタンの居た所だとのお話でした。
 
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いよいよ誕生です(*^_^*)

 投稿者:管理人  投稿日:2002年 3月23日(土)10時02分26秒
  お待たせしました。いよいよ東北アイヌ語地名研究会が誕生します。
会員募集中です。どなたでも会員になれます。会費は年間3000円です。
加入ご希望の方は、管理人のメールをクリックして下さい。
設立総会は、6月29日(土)午後2:00より、一関市防災センターで開催されます。
故里に残るアイヌ語地名を、一緒に探してみませんか。そして消えそうな歴史を探りましょう。30日には、近くの史跡およびアイヌ語地名関連の場所を巡ります。
詳しくお知りになりたい方もメールをクリックして下さい。
たくさんの方のご入会及びご参加をお待ちしております。
メール宛先・・・・mtk-dy@tradewind.or.jpです。
 

『竹取物語』地名について

 投稿者:竹取の翁  投稿日:2002年 3月16日(土)22時39分7秒
  『竹取物語』に興味のある方、是非、下記のホームページをクリックして御覧になってください。その中に色々な地名が出てきますので関心のある方は、メールをお送り下さい。
http://www12.tok2.com/home/koizumi/

http://www12.tok2.com/home/koizumi/

 
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明日宜しく!

 投稿者:ゆです。  投稿日:2002年 2月20日(水)23時55分13秒
   いつも楽しくみてますよ。地名ってあらためて、歴史の一部だなとかんじました。
では、またSEE YOU!
 

末無掃部丁について、もうちょっと!!

 投稿者:管理人  投稿日:2002年 1月30日(水)17時59分39秒
  末無掃部丁、掃部丁は、現在花京院1丁目という地名になっていつそうです。
仙台市のHPを覗いて見たところ、財政のページに、道路関係で、
末無掃部線の整備という記述がありました。
仙台駅近くなのでしょうが、もしかすると、こちらの方では、
まだ生きている地名なのかもしれませんね。
町名にはなくなってしまったけれども、こうしてどこかに残してもらっていると、
うれしいですね。
 

末無掃部丁についわかったこと!!

 投稿者:管理人  投稿日:2002年 1月30日(水)17時51分41秒
  仙台には、掃部丁(かもんちょう)と、末無掃部丁(すえなしかもんちょう)があったようです。寛文8、9年(1668〜69)製作の「仙台城下絵図」によると、大工町の北裏に
上遠野(かとの)掃部常秀の本屋敷がありました。この人の奥さんが、寛文事件の原田甲斐の妹だったことから、甲斐の子供たちは、掃部の屋敷で切腹させれました。その関係からか、掃部の屋敷は延宝時代の終わり頃、清水小路の方へ移り、その後空き屋敷になっていました。その後、元禄8年(1695)、この屋敷を割り振りして、職人屋敷にしたのだそうです。さらにそこに藩の御薬園が置かれました。したがって職人町の方が(東側)掃部丁、西側の通り(御薬園側)を末無掃部丁といったようです。
末無とは、通り抜けのできない袋小路という意味で、掃部丁から御薬園の方へは、行かれない、行き止まりということなようです。
昔は、御城下にそういう道がたくさんあったようです。例えば「外記丁末無」「木町末無」などです。
因みに、安政3年〜6年(1856〜59)の地図を見ると、末無掃部丁は、元寺小路から中程まで通路があり、空堀丁へは通り抜けできないということです。
お問い合わせありがとうございました。お蔭様で勉強になりました。
 

お聞きしますが

 投稿者:Sasayadoan  投稿日:2002年 1月21日(月)19時51分29秒
  仙台市の中心部、仙台駅の西側をすこし北に行ったところに末無掃部丁という古い地名がありますがこの由来は何なのでしょうか。  
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

ちょっと、わかりました。

 投稿者:管理人  投稿日:2002年 1月 8日(火)21時54分25秒
  志津川町教育委員会にお尋ねしてみました。
あの辺りは、陸繋砂州(りっけいさす)という、海からたくさんの砂が運ばれてできた地形なのだそうです。波伝谷は、戸倉という地域にあるのですが、戸倉神社の縁起には、一夜にして近くの明神沼ができたとあるそうです。
つまり海と沼の間が隆起して、海岸が切断れた状態になったということでしょうか。これは縄文海退と関係があると思うのですが・・。
しかし、これは、同じ戸倉にある波伝谷の隣、水戸辺という地域のことなようです。
つまり、私が調べたところでは、水戸辺辺りと波伝谷とは地形が違うようでした。
波伝谷は、暗礁・岩礁がたくさんあるようです。決して砂地だけではないようなのです。
地元の人に聞いたところ、漁船は岩礁をさけて、航路をとっているとのことでした。
このエリアの地形を知らない人が、座礁したりしているようです。
三一書房出版の「民俗語彙辞典」によると、ハエは、岩礁・暗礁のある地形を言うそうです。ハエが短くハに発音されてもおかしくないと思うのですが。
デンは、デンビなどと同じように、出ているというところでしょう。つまり、岬が出っ張っているのですね。行ってみると、実際に出ているようです。ヤは、場所を表すと思われます。だから、昔の人たちは、水戸辺から上陸したのであり、波伝谷からは上陸できなったのではないでしょうか。
志津川から峠を越えた津山町の横山不動尊は、水戸辺に流れ着いたものを祀ったと伝わっています。
以上、見えてきた分を報告します。ご存知の方は、お知らせ下さい。
 
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地名研究のてがかりに

 投稿者:Ugaya8  投稿日:2002年 1月 2日(水)12時56分5秒
   突然の書きこみ失礼しました。地名は、そこに誰が住んでいたかを示していま
す。柳田国男『地名の研究』で盛んに地名をその地勢や地形などで説明している
ため、後の時代の後継者や引用者達は、地名を柳田と同じ形で説明する傾向があ
ります。地名は非文書的研究からは歴史研究で重要な部分です。その意味で柳田
が地名は地勢などからは命名されていないと同書で述べている事を注意すべきで
す。換言すれば地勢から「誰が住んでいたか?」が肝要です。歴史用語、俗称通
称、方言、隠語などから、地名のルーツとなった可能性のある語彙35000語を収録
し、自費出版した『野史呼び名辞典』を利用して戴ければ、地名研究の新しい地平
を切り開く事ができます。職業構成、信仰分布、方言構成、階層構成などの分析と
あわせて研究されれば、従来の郷土史・民俗学から「郷土の庶民の歴史民俗学」へ
と飛躍することができると思います。編者は野史研究会所属です。

http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi

 
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